整体師になるまでのヒストリー
こんにちは
深もみサロン柚花の かとう です。
ブログをご覧くださりありがとうございます。
施術中によく
『なんで整体の仕事をし始めたのか』『整体の仕事はどんな感じなのか』と
疑問に思ってお話を聞いてくださる方が多く、
意外と興味持ってくださる方が多いので、たまには私の私的な事とかもお話していけれたらと思い
整体に興味を持ち始めたまでを今日はお話しさせていただきます。
わたしの実家は家族経営ので花屋を営んでいます。
長子なのもあり幼少期より実家を継ぐ様に言われていて、自分としても嫌ではなく継ぐ気満々でやる気にあふれていました。
しかし、高校生の頃、親より「弟へ継がすことにした」と一言。
あの時はこの先何を目標に生きればいいのか分からなくなり
「お先真っ暗」って言葉がぴったりなくらい。目の前が真っ暗になり将来が不安でたまらなくなりました。
もともと大学には進学せず、高校卒業したらそのまま仕事をしようと幼少期の頃には決めていて
入った高校も商業科で、将来の経営に役立つようにパソコンスキル(タイピングやエクセル処理)や簿記などの事務仕事主の勉強しかしていませんでした。
卒業まじかの今の段階から進学に向けての勉強は難しいし、目的がないのに大学に行くのも疑問があって
『仕事先を探さないと』
っと不安と焦りを感じていました。
高校卒業したら家を出て社会経験をするっていう教えの家だったのもあり、目的にしていた就職先も白紙に戻って何も手につかず不安を抱え込んでしまっていた時期でした。
自分の性格からサラリーマンになって会社で働くっていうのが、苦手だと周りも自分も感じていたのもあり
社会人になったら会社同士の付き合いではなく、 個人のお客様となる方との付き合いができる職業につきたい。
直接自分の手から相手の手へ 受け渡しをしたいし、喜ぶんでもらえる様に笑顔でお迎えや応える事がしたい
と、言う思いは変わらなかったので
そこから、自分に合うサービス業を探すことを始めました。
先ずは、アルバイトとして“飲食店”や“イベント会社”“販売員”など
興味があってと言う職種もありましたが、社会に出た時にどんな職種に自分が合うのかと
経験をさせていただいたこともありました。
その際に やっぱり自分は物作りや直接人に接する仕事がしたいと思いそこから就職活動をはじめました。
最終的に二つの職業で悩んでいました。
一つが「理学療法士」
もう一つが「下着メーカーの企画デザイン」
同居していた祖父母の年齢による体の不自由さを感じて“理学療法士”か、、、、
自分のコンプレックスでもあったアトピー性皮膚炎や体型の悩みなどから“下着メーカーでの企画職”
どちらとも「ひとの悩みに寄り添った提案やサポート」で自分が手助けになり喜んでもらえる様な仕事をしたいと言う思いで悩んでいました。
最終的に、思春期ならではの悩み体型が大きく また、女に生まれたからこそ分かり合える悩みへのサポートをしたい
最もひとの肌に触れるもので年齢とともにずっと寄り添える仕事と思い“下着メーカー”へ就職しました。
下着メーカーに勤めてからは、
性別や年齢にあった悩みに多く関わってきました。
その中でも女性の思春期から更年期くらいの方のお体の悩みが印象的でした。
例えば、「乳がんによる片胸での体のアンバランスによる不自由さ」
「憧れの体型になりたい、けどこのかわいいデザインの下着を着けたい」
体のアンバランスさや体型からの不自由さによる悩みについては、何とか解決できるように合う物をアドバイスしたり
体型の悩みについては難しく靴と同じで同じサイズでも人によって体形が違うことにより好みのものが体型に合うとなるとなかなか難しく
そこが悩みを抱えたりもしてました。
下着メーカーに勤めて人の体でこれだけ多くの悩みがある事を知り
もっと体について知識を深めようと
仕事をしながらでも出来る勉強と、スクール・学校を探しました。
その際に見つけたのが、整体師になるきっかけだった
中国整体の整体院と学校が併設されていたところでした。
ここから私の整体師としての道が始まりました。
これが私の整体師としての道に入るまでの経験です。
こうして振り返るといろいろな事があり今まで経験させていただいた事を再度復習し活かしていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。